考えが変わると思います。
刃物の研ぎは、出来る限り細かく研ごう!みたいな風潮が、過去にありました。
私もその時期は、やはりそういった事に、チャレンジをしていました。
それが無駄であったとは思いませんが、現在では、そういった事をする機会は、ほぼ無くなりました。
今私が思う研ぎとは、適材適所であり、細かさを競い、それがただ繊細に切れるかどうかではなく、刃が入っていく感じや、刃持ちの部分など、そちらを重要視している事の方が、明らかに多いです。
同じ砥石を使っても、仕上げきれた場合と、下地の失敗はその仕上げでの失敗により、まともにその砥石の目になっていない場合など、違った結果になる事がありますので、その違いを知ると、そこまで無理に細かくしなくても、全く問題が無かったという事は、良くある事だと考えています。
もちろん、100%と言える範囲で、より細かく仕上げなければならないような刃物も、色々と存在している事を考えると、そういう技術もちゃんと持っていなければ、研ぎには対応が出来ませんので、ちゃんと学んでおく必要はあります。
そもそも、安定した刃付けが出来るようになっても、刃物が追い付かない事も多くあるので、それに気づいてからは、頑張りが結果に出ないと、ガックリ来る事もあったりしました。
なるようにしかならないにしても、どこまでなるようにするかで、結果も変わって来るとは思いますので、無駄だと思っても、色々と試してみる事は、無駄ではないと思います。
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