無知でも良いと思います
お客様からのお問い合わせや、直接のご来店でのご利用で、色々とお話をしている中で、「無知ですみません」のように遜ったり謝る方が結構いらしゃいます。
知識や技術が無くても、ちゃんとしたお店や職人を探し、技術の依頼をと思う訳ですから、それで良いと思います。
逆に知識や技術が中途半端にあって、「知っている」や「出来ている」と勘違いをしてしまい、ただのつもりになっている事も良く見受けられますが、そうなってしまうと正しい情報を受け入れられなくなったり、技術の進歩の邪魔をしてしまう例が多いようです。
そうなるより、まともなところでまともな知識と技術を用いて、良い結果になるように方向性を見てもらった方が、間違いなく正解だと思います。
私自身も素人時代に、刃物屋さんや砥石屋さんに数多く行きましたが、自分で損をしたと思っている部分もあります。
もちろん、当時の知識と技術の勉強や研究は、一部でプロレベやプロ以上とも言われる事があり、ある程度の確証がある答えは持っていましたから、この程度で専門店の看板を出せるのかと、残念ながら思ってしまう事もあり、それはプロになって業界の色々な範囲を見るようになってからも、あの頃の見解は間違いではなかったと思う事もあります。
そう考えると、必ずしも勘違いとも言えないのですが、知っているのと出来るのは違いますし、出来るのと知っているのが違う事もあります。
つまり、知識と技術のバランスや融合の問題になりますから、人と確実なお話をする為には、ああでもないこうでもないと色々とお話出来て、それを結果で見せなければならないので、それなりのレベル以上のプロの話は、ちゃんと聞ける体制を持った方が良いと思います。
あとは経験的な部分もありますが、その辺りは難しく他では何件も断られたような仕事も、無理だと判断をしたり、お客様の得にならないと思わない限りは、出来る限りでお受けしてきていますから、利益では無く技術優先でやってきたと言えますから、その辺りもご安心ください。
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